第17回 魚沼のお米
〜 第17回 〜
魚沼のお米
株式会社山田屋本店 秋沢毬衣
五つ星お米マイスター、米・食味鑑定士。東京都調布市にある株式会社山田屋本店の6代目。全国の田んぼを訪問し、日本の精密かつ受け継がれゆく米作りや生産者の想いを国内外へ発信。お米の専門店「米屋彦太郎」を運営し、お米館調布本店・三越銀座店に出店している。
こんにちは。米屋の娘6代目の秋沢毬衣です。2022年の2月に始まった【農家さんのサブスク米】の連載も早いもので1年経ち、これまでに紹介した品種は、北は北海道から南は沖縄まで24品種となりました。料理や調理方法にあわせたお米選びのコツを紹介してきましたが、みなさんのお好みのお米は見つかりましたか?
今月からは、“米屋の娘ならでは”の視点で、掘り下げながら解説していきたいと思います。さて、今回は、日本のブランド米と言えば、一番に名前が上がるであろう産地「新潟県魚沼産」のお米のおいしさの秘密についてお話していきます。
前回まではこちら
「魚沼」はどんなところ?
ブランド米と言えば「魚沼産」というほどの圧倒的な知名度を誇る「魚沼」ですが、場所はご存知でしょうか?実は、一言で「魚沼」と言ってもその範囲は広く、新潟県の南部に位置する魚沼市、南魚沼市、湯沢町、津南町、十日町市、小千谷市、長岡市川口地区(旧川口町)の7つの市町村を総じて「魚沼地方」と呼び、大きく「北魚沼」「中魚沼」「南魚沼」の3つの地域に分けられています。魚沼地方は、周囲を山に囲まれた盆地で、冬は3メートルもの積雪がある日本でも有数の豪雪地帯としても知られています。春には、降り積もった大量の雪がミネラルを豊富に含んだ雪解け水となり、麓の田畑を潤します。盆地特有の気候により、夏場の昼間は非常に暑いものの、夜間には山からの涼しい風が気温を下げることで昼夜の寒暖差が生まれ、糖度が高く甘みやうまみが強いおいしい農作物を育みます。
ブランド米誕生のきっかけとは?
まずは、ブランド米誕生のきっかけについて少しお話したいと思います。かつて日本では、主食となる食糧の供給と価格を安定化するために制定された「食糧管理法」という法律がありました。この法律は、第二次世界大戦下の1942年に始まり、1995年に廃止されるまで長い間、日本の食糧の流通を管理してきました。戦後の食糧難の時代には、国が全国の米農家に対して米の増産を求め、収穫した米を国が一律の価格で買い上げていました。当時は「食味」はさておき、収穫量の多かった農家が表彰されるという時代でした。1960年代に入ると、米の国内自給が達成され、それと同時に食の洋風化が急速に進んだ結果、今度は、米が余り始めてしまいました。そこで米余りの解消策として、国が一律に買い上げる制度だけでなく、人気に応じて価格差が生じる『自主流通米制度』が1969年に導入され、1970年代には、米の生産量そのものを抑制するために田んぼを減らす「減反政策」が開始されました。市場における「米余り」の状況が、それまで「質(味)」より「量」とされていた米の生産現場において、「食味」「品質」「ブランド力」が重視される新たな時代への幕開けとなりました。
「魚沼米」のおいしさの秘密とは?
魚沼地方は、地形的に中山間地が多く「収穫量があがりにくい」地域ということもあり、収穫量が重視される食糧管理法下においても、「食味」を重視する生産に注力し、おいしい米作りのための努力を行ってきました。国の方針に反し、収穫量ではなく食味を重視する魚沼の農家に対して、他産地からは軽視する見方もあったようです。しかし、米が余り、消費者自身が米を選び購入することができるようになると、魚沼を観光で訪れた人々が他の産地との米の味の違いに気づき、「知る人ぞ知る米」として口コミで人気が広がっていきました。ご当地米として一部で人気となっていた魚沼米は、全国のスーパー等が「高価格でもおいしい米を食べたい」という消費者向けに一斉に商品化したことで、全国的な知名度を得て、その後のブランド力の高さにつながり、固定客をつかみ高価格を維持しています。収穫量が求められる時代でも、おいしさ重視の米作りを行ってきた先人の努力が、日本におけるブランド米の最高峰として実ったといっても過言ではないと思います。
魚沼産のお米の特長
魚沼産という日本一のブランドに、農家さんのプライドを感じるお米です
1. もちもち感や粘り気
同じ銘柄でも産地の違いが感じられます。
2. 冷めてもパサパサせず、硬くなりにくい
タンパク質とデンプンのバランスが秀逸です。おにぎりやお弁当にもおすすめです。
3. 噛むほどに広がる甘みと香り
まずは一口、おかず無しで味わってみてください。
お米マスターが選ぶ、魚沼産おすすめのお米
〜 その1 〜
特別栽培米 新潟県南魚沼産 コシヒカリ|JAみなみ魚沼(新潟県南魚沼市)
誕生から60年以上のコシヒカリ。「日本一の米」の名を守り続ける米作り。
「コシヒカリ」は、全国の田んぼの3分の1で作られている日本の代表的な品種です。1944年に新潟県で「農林22号」と「農林1号」とを掛け合わせ、「越南17号」として福井県で系統育成されました。開発当初は、品質や食味は良いものの、一方でいもち病に弱く倒伏しやすいという弱点がありましたが、新潟県と千葉県で奨励品種に採用され、1956年に新品種として登録されました。「越の国に光り輝く米」という意味で命名された「コシヒカリ」は、今では作付面積、生産量ともに日本一の品種となりました。JAみなみ魚沼では、「高品質」「良食味」を重視した生産と自然環境に配慮した取り組みを行っており、生産者一人一人が「日本一の米」という気概を持って、厳しい生産基準の下、栽培を行っています。ミネラル豊富な雪解け水と盆地ならではの昼と夜の寒暖の差が育むコシヒカリは、芳醇な香りと食べた瞬間の甘み、口内に残る甘みの余韻が格別です。最高級米ともうたわれる米の味をお楽しみください。
清らかで豊富な雪解け水と米作りに適した自然環境
南魚沼地区は、2,000m級の越後三山(八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳)を望む日本有数の豪雪地帯です。春になると山々からミネラル豊富な大量の雪解け水が流れ出し、肥沃な土壌を育みます。高い山々に囲まれた盆地であることによって、夏場の昼夜の寒暖差が大きくなり、この寒暖差が甘みと粘りの強いおいしいお米を育みます。こうした自然条件がそろっていることが、極上の魚沼産コシヒカリを育む秘訣とも言えます。
緻密なデータ管理による地域全体の食味向上
JAみなみ魚沼では、長年培ってきた稲作技術に近年の気象データと傾向をあわせて状況を分析し、地域の生産者に対して情報発信を行っています。気象条件に合わせた施肥量の目安の提示や、稲の黄化率(穂の外観)を元にした最盛期の刈取り判断の目安情報、収穫後の乾燥作業における胴割れ米を防ぐための温度管理の注視情報など、段階にあわせて細やかな管理を施しています。
日本一のブランド「コシヒカリ」です。おいしい南魚沼のお米をお楽しみください。
JAみなみ魚沼
〜 その2 〜
新潟県北魚沼産 新之助|JA北魚沼 新之助研究会(新潟県魚沼市)
米どころ新潟が生んだ、新星「新之助」。米作りのプロが作る新しい米の味をお楽しみください。
「新之助」は、日本一のコシヒカリの産地でもある新潟県がそのプライドをかけて2008年から開発を進め、2017年に誕生した新品種です。「コシヒカリ」の生産地として米作りの第一線をリードしてきた新潟県ですが、その一方で、県内の品種別作付け面積における「コシヒカリ」の作付け集中が、近年多発する気象災害による被害などのリスクとしても考えられるようになってきていました。そこで、新潟県農業総合研究所が中心となって消費者の食のニーズも踏まえた新品種の開発を進めることになりました。500種類の中から選ばれた「北陸190号」と「新潟75号」を元に交配された「新之助」は、大粒で食味も良くその豊潤な甘みとコク、しっかりした粘りと弾力を併せ持ち「うまみが濃い」のが特長です。茎が太く「コシヒカリ」よりも10cmほど丈が短く倒れにくい特徴に加えて、近年の温暖化による高温障害に耐性があることから、次世代の品種としても注目されています。魚沼地方は米作りに非常に適した産地ながらも、ひた向きにおいしいお米を作り続けている努力に驚かされます。
長い冬が生み出す豊かな土壌
魚沼市が位置する北魚沼地区もまた、2,000m級の越後三山に囲まれ新潟県内でも有数の豪雪地帯です。冬が長く、4月中旬まで田んぼが雪に覆われており、春の訪れが遅くなる分、土が休んでいる期間が長くなり、吸収力のある良い土が育まれます。また、循環型農業の実践にも積極的に取り組んでおり、有機たい肥センターで地域の環境に適した家畜のたい肥を加工し、土づくりも行っています。
ITを活用しながら品質を管理
近年では水田の水位をスマートフォンで確認する水田センサーを活用し、水温、地温、風などを測定しています。温暖化の影響で夏場には、日中の気温が35~6度まで上がることがありますが、周りに山があるので、夜は気温が急激に下がります。この昼夜の寒暖差が、穂が出た秋のお米の登熟(とうじゅく)につながります。出荷時も、通常は玄米網目1.9mm程度でお米をふるう産地が多いですが、JA北魚沼 新之助研究会の会員のお米は2mm以上のふるいにかけて出荷しています。
新潟県が生み出した新しいブランド米。北魚沼で、もう一本の柱にしたいという思いで、メンバー一体となってこれからも取り組みます。
JA北魚沼 新之助研究会